奇才・霧恵マサノブ先生について

いつまでも落ち込んでいても仕方ないので、レビューやります。実は100本目の記事でして、記念というわけでもないのですが、いつもと趣を変えて単行本ではなく霧恵マサノブ先生という作家様についておこがましくも書かせて頂きます。
霧恵マサノブ先生(以下、霧恵先生)は現在、『海神』『海贄』(共にヒット出版社)という2冊の単行本を出されています。
以前の短評(リンク先記事内第2位を参照されたし)を読んで頂ければ、僕が如何にこの先生の作品を愛しているかはご理解頂けると思います。
そのため、今回は客観性なぞかなぐり捨てて、主観に満ち満ちた長い長い主張になります故、その点留意して下さい。
男女問わず個々にユニークで人間臭く、魅力的な沢山の登場人物達。その人間たち+海神さま(恵比寿神)が織り成す群像劇は、張り巡らされた伏線や人物配置を徐々に見せそして徐々に回収しながら、個々の人間たちのドラマが一つの大きな流れに合一していく見事な構成力を魅せ付けます。
登場人物の思いが交錯するシリアスなシーン、お馬鹿さと高いテンションが爆発するコミカルなシーン(←参照 『海神』収録作 短編「旅人の自由亀甲」)、そして圧巻の迫力を持つエロシーン。それら全てにおける作劇の妙、時にテンポよく時に数語で全てを語らせる台詞のセンスの良さは共に霧恵先生の大きな魅力と言ってよいでしょう。漫画の構成要素を分析的に語りたい訳では毛頭ないのですが、シナリオとキャラ、そしてそれらの組み立て方が非常に巧いと言いたいのです。
おそらく霧恵先生が残念ながら現在のところ大ブレイクしていない理由の一つは、その独特のセックス描写と思われます。
リズミカルで官能的な台詞と各種液体が撒き散らされるひたすらに激しい交合は、構図の取り方や行為の展開が巧みであり実用性は低くありません。
勿論、しっかり「エロ描写」としても描かれていますが、その根底に確固としてあるのは「人が人として他者を求める欲望」です。
幾千幾万の言葉を越えて、身体が繋がるセックスでのみ語り合える「コミニケーション」があるならば、正にそれが描かれていると言っても過言ではないでしょう。
近親姦のタブー(『海贄』短編「旅人も妹相関図」など)、障害者に押し付けられた聖性(『海贄』短編「ハーヴェスト!」など)、孤独に闘い続ける疎外感(『海神』 短編「リアクト!」など)を圧倒的な性感と他者との繋がりからくる苦痛を伴う充足感が踏み越えて行くかのような、強力無比に狂おしい交わりはもはや神々しいと感じます(←参照 『海贄』短編「旅人も妹相関図」より)。「ハーヴェスト!」のヒロイン峰華さんの言葉を借りるならば、個として他者と向かい合いその対等性を確認することで彼ら彼女らは「人間になれた」のです。
SMや集団レイプのような陵辱エロもありますが、決して一方的な性欲の叩き付けとしては描かれていません。そもそも陵辱する男性側は、描かれる世界観で活き活きとしている登場人物たちであり、決して「読み手の劣情の代行者」ではないのです。
読んで頂ければ感じ取れると思うのですが、陵辱成分強めのエロシーンでは『「強姦」「SM」の様式美』の側面が強調されます。当然、”マトモ”な行為ではないですが、その「様式美」というのは陵辱される側の他者性が無ければ成立し得ないのです。
獣欲・征服欲という歪んだ欲望を介在しているとは言え、あくまで「他者の欲求」の発露としての行為と感じられるのです。(まぁ、それは全ての鬼畜・陵辱エロの根幹な気もしますが、そこが見え隠れするか否かが本作との違いかと)
話を元に戻しますが、複雑に絡み合う登場人物達はそれぞれに他者との関係性を持ち/持たされます。しかし、他者を希求しながらも、やはり個人は個人なのです。
作中では多くの家族、特に親子が登場します。近親姦が頻出するため、家族関係が軽視されている様に映るかもしれませんが、個人的にはそうではないと考えます。
端々の描写から感じ取れるように、親は子を想い、子は親を慕います。しかし、その既与の強い”血の繋がり”さえ、それは個の欲求に踏破されうるのです。
自罰的な親娘相姦が描かれる「アライブ!」において、自分がかつて捨て、義父から性的虐待を受けた実娘を再び抱きしめ、謝罪しても二人の関係性は回復しないでしょう(←参照 短編「アレイズ!」より)。このコマの後、少女は自分を虐待した義父の娘(つまり義理の妹)を抱擁し、和解します。
我々がいわば天から与えられた、”血の繋がり”は力強く尊いものですが、それは乗り越えられるものだし、それのみに完結的に捕らわれることなく他者との関係性を構築したいという願いが描かれている様に思うのです。
エロにしても作風にしても「生と性への賛美」が感じ取れるのですが、霧恵先生の凄い所は自分がそれをエロ漫画でやっていることを多分に自覚して描いているところです。
「旅人の絶倫島奇譚」前後編(『海贄』に収録)では、離島の国定公園中に作られた世捨て人たちの集落に旅人がお世話になります。
その集落は、原始共産制の平和な世界であり、伸び伸びと活発に生き、原初的な性の快楽を貪欲にされど快活に享受する人間たちが生活しています。いわば楽園ともいうべき世界です。
緩やかにしかし力強く繋がりあう人々、生としての性が肯定される素晴らしい場所です。
しかし、その村人たちは実のところ、”見世物”なのです。彼らの瑞々しい生は監視カメラによって撮影され、見知らぬ他者に「消費」されるものなのです。
彼ら彼女らはそれを自覚してもなお、そこで生きていかねばならない人たちなのです(←参照 「旅人の絶倫島奇譚」後編より)。これを「酷い話だね」と言うのは簡単ですが、自分と関係のない「登場人物」たちの活き活きとした生と性を安全な位置から「楽しむ」という構図は、全てのエロ漫画読みというか漫画読みに対する痛烈な皮肉ではないでしょうか?
霧恵先生は「生と性への賛美」を描きながら、それを味わうことを一歩退いた視点からある種冷徹に捉えているように僕は感じるのです。
ただ、そのニヒリスティックな視点を踏まえつつも、描かれるのはやはり「他者を求めつつ個として生きていく」ことへの肯定です。
「旅人の絶倫島奇譚」ラストでは、いわば旅人の「失楽園」が描かれます。エデンを追われたアダムとイブは山の頂から地上に「降りていく」のですが、こちらでは旅人は壊れたバイクを押しながら坂を「上っていく」のです(←参照)。怒りと悔しさに塗れながら、決して生への希望と熱情を失わない旅人の姿は、悲嘆にくれ堕ちて行く人類の祖先と何と対照的でしょうか。
漫画としての構成力も素晴らしいのですが、この冷静な視点と滾る生への熱情が同居することこそが霧恵マサノブ先生の奇才たる由縁なのではないでしょうか。
絵柄・作風共にクセはありますが、それでも多くの方にお勧めしたい作品なのです。
なお、この長ったらしいレビューは、この作品と出逢う切っ掛けとなるレビューを書いたgosplan大兄(酒とエロ漫画の日々。様)と、このレビューを書くモチベーションをそっと高めてくれた天然猫肉汁アリス缶詰賢兄に捧げさせて頂きたい。
勿論、このクソ長いツマラナイレビューを読んでくれた読者諸兄にも大感謝。
それでは、また次回のレビューにて!
コメント
霧恵マサノブを読む
No title
いつも丁寧なコメントありがとうございます。
賢兄の霧恵マサノブ先生と、エロ漫画そのものへの愛情がヒシヒシと伝わる熱いコメントです。
アマゾンの字数制限から解き放たれた賢兄の本気を見せて頂きました。長文大歓迎ですよ。
ていうかですね、こんな素晴らしい文章を、こんなしょぼいブログのコメントに閉じ込めてしまうのはエロ漫画レビューに関わる人間にとって非常な損失だと思うのですが、何とかもっと大きな場で発表できないものですかね。
勿体無いにも程があるというものですよ。
しかし、読み手が違えば感じ方も違い、書く文章のスタイルも味も異なるわけで、老後の楽しみが減ったなどと寂しいことをおっしゃらず、賢兄の霧恵先生の評を是非読ませて頂くことを僕は熱望しております。
どうにも勢いまかせで胡乱なレビューを書いてしまい反省しきりなのですが、以前、大先輩の賢兄に向かって「僕だって霧恵先生が大好きですよ」と恥かしげもなく放言した、霧恵マサノブ作品への偏愛の証左に本レビューがなっていればまさに本懐であります。
賢兄の霧恵マサノブ先生と、エロ漫画そのものへの愛情がヒシヒシと伝わる熱いコメントです。
アマゾンの字数制限から解き放たれた賢兄の本気を見せて頂きました。長文大歓迎ですよ。
ていうかですね、こんな素晴らしい文章を、こんなしょぼいブログのコメントに閉じ込めてしまうのはエロ漫画レビューに関わる人間にとって非常な損失だと思うのですが、何とかもっと大きな場で発表できないものですかね。
勿体無いにも程があるというものですよ。
しかし、読み手が違えば感じ方も違い、書く文章のスタイルも味も異なるわけで、老後の楽しみが減ったなどと寂しいことをおっしゃらず、賢兄の霧恵先生の評を是非読ませて頂くことを僕は熱望しております。
どうにも勢いまかせで胡乱なレビューを書いてしまい反省しきりなのですが、以前、大先輩の賢兄に向かって「僕だって霧恵先生が大好きですよ」と恥かしげもなく放言した、霧恵マサノブ作品への偏愛の証左に本レビューがなっていればまさに本懐であります。
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いずれHPをもてる日が訪れた暁には、真っ先に語りたかった著者への想いの丈を、こうもあっさりとステキに総括されてしまうと、ミゴトと言うしかほかないではありませんか…。
老後の楽しみがひとつ減ったのは甚だ残念ではあるけど、せっかくの機会なので便乗させていただこうと思います。
さて、私はアダルトな漫画が大好きである。それは青年向け(非エロ)・成年向け(エロ)をひっくるめてのアダルトである。
そして、エロ漫画の中にも未成年向けの作品が多く存在していることも承知のうえで、たとえ黄色い楕円の成年マークが付いていようが、どーしようもなく漫画読みであるところの私の読書として耐えうるレベルにないものは、このさい出直してこい的な断固お断りの姿勢を貫きたいと思っているところから始まる。
それをセンスとか技巧とかいう言葉でまとめてしまうと、身も蓋も無くなってしまうし、何を以て素晴らしいと評価するかは、読者個々の嗜好によって大きく変わってしまうことだけは紛れもない事実であるわけだけど、素晴らしいものは素晴らしいと言うしかほかにない。
無論、エロメディアとしての読書とは、『読む』だけにあらず『コマを追う』という行為が圧倒的な割合を占めるため、少なくとも『一般的エロ漫画愛好者』が『差し障りのない(=精神的苦痛を感じなくてすむ)抜きツール』として成人コミックスを『読む』だけなら、自分の好みと苦手なスタイルさえ把握していれば、ネット上のいくつかのプログをチェックするだけで、比較的容易に好物件をゲットできるものだ。
ただし、ここで問題なのは、成コミに、抜きツールとしての性能以上の何かを求める方の場合に於いて、たとえばマニアックな嗜好へのこだわりであるとか、突き抜けたある種の表現形態を最優先で求めているとか、漫画としての感動をも同時に得たいとか、そんな方々への幅広いプログというのは残念ながら極めて少ないのが現状で、また、たとえ存在したとしても、たかが人間一人の力で全ての作品を網羅するのは不可能に近く、本当に自分が求めていたはずの作品を見逃して通り過ぎてしまったときの無念さが身にしみている私のような輩だけが、後悔し、目を皿にして、あるいは雑誌などで何時出現するかわからぬ新たな方向性の萌芽を認めるにつけ、ほくそ笑んだりするのだ。
そもそもそれは、一昨年の12月に発売された『海神』をリアルタイムで購入し損ねたという処に遡る。
個人的に好きな作家様へのあまりの無体な扱いが悲しくて某所で書評を書くことで自己満足していた私に、リアルタイムでの新刊レビューを余儀なくさせた、それは極めつけの1冊である。
そして通り過ぎてしまい、危うく購入し損なうところだったこの作品をゲットできた感謝の気持ちが今日の私をつくりあげてしまったとも言える。
たったひと言の情報に、こんなに感謝するハメになるとは夢にも思わなかったし、以来、些細な情報でも人によっては大いなる助け船になることを知り、個人的には無意味なことも疎かにできなくなってしまって、書くペースは落ちる一方だけど。
前置きがやったら長くなったけど、つまり、月に2冊とか5冊とか、自分の好みの抜きツールとして成コミを求められてる皆様には、『霧恵マサノブ』という作家は、星の数ほど存在するエロ漫画家の一人であって、誰も彼もが宝物になる作家様だとは限らないということで、じゃあ、何でそんなに熱いんだって言われれば、
『エロを媒体とした漫画の中で、その官能をまったく疎かにすることなく、されど一般青年漫画の名作レベルの作品群に勝るとも絶対に劣らない、人と人とが織りなすドラマとしての感動をもたらしてくれる作品を描ける作家』
であるからだ、と、この際断言してしまおう。
それは多分に、エロ漫画が大好きで、かつ深みのある漫画が大好きな方へなら、最高クラスの贈り物であろうことを、私自身が信じてやまないからだ。
2007年のベスト選出でも『海贄』の1位だけは揺るぎなかったほど、この作品を愛している。
愛しているからこそ、登場人物たちの想いが胸に染み入り、だからこそ、抜ける。
だから逆説的に言えば、想いで抜くタイプの方以外には圧倒的な漫画シーンが逆に足枷になって抜きづらいこともあるだろうことご了承いただきたい次第。
『エロ漫画のふりをした本格SF』とは言い得て妙なgasplan氏のお言葉だけど、まさに著者は人の性愛をも物語の一角として取り込み、壮大なドラマの支柱として利用してしまわれる、途轍もない方だ。
エロだけの方向性なら『月野定規』や『竹村雪秀』と何ら変わらないけど、その調理法はまったくもって異世界な『霧恵マサノブ』の、その独自の創造論をぜひ堪能してほしいと思う。
『Leviathan』は何処から来たのか、そして何処へ行こうというのか。
物語はまだまだ続くけど、興味のある方はぜひご自分の目で確かめてみてほしい。
『堀骨砕三』も『玉置勉強』もすでにエロ漫画界から身を引いてしまったいま、圧倒的な理念と卓越した漫画力で綴られた素晴らしい人間ドラマの紬ぎ手として、晴れて一般に巣立つはずの、さほど遠からぬその日までともに、この感動を一人でも多くの方と分かち合えたなら、とても嬉しい。
こういう作品に出逢えるからこそ、アダルトな漫画とエロ漫画の両方が大好きで好かったと、心から思う私です。
またまた長文失礼いたしました。
とゆーか、何を言いたいのかまったく以て理解不能なひでー文章で御免なさい…。